北勢町沿革
北勢町は、三重県の最北端に位置し、西は員弁川と京ヶ野(丘陵)をはさんで藤原町に、北東は養老山地を境に岐阜県と接し、西南端は鈴鹿山脈の尾根で滋賀県と接する。また、南東は開け、大安町、員弁町へと続く員弁郡で最も面積の広い町(総面積88.78平方キロメートル)である。町の北端は、大字川原字登奈井尾にあり北緯35度15分16秒、南端は大字麻生田字下川原の北緯35度6分57秒、東端は大字南中津原字足谷にあり、東経136度35分51秒、西端は鈴鹿山脈中腹の大字新町字南河内にあり東経136度26分18秒である。
北勢町の北東に広がる養老山地の西側斜面と町の南西部がかかる鈴鹿山脈の東側斜面を合わせ、町の面積の半分以上は山地である。町の人々の居住域は、町を北西から南東に横切って流れる員弁川の本流と、養老山地と鈴鹿山脈から流れ込む数本の員弁川の支流によって形成された標高約50~200メートルの段丘上にある。
縄文期・弥生期の遺跡が発見されているところから、北勢町には太古の頃から人々が定住していたものといわれている。麻績塚古墳、川向遺跡も発見され、また、桜番所跡のいい伝えもある。復活した二之瀬の獅子舞、川原の丸山踊りなどの郷土芸能をはじめ、「おみおく練り」や「八幡祭」といった個性豊かな祭礼も伝承されている。ふるさとの四季を華麗に彩る祭りは、北勢町の歴史や文化を感じさせる一番のポイントになるといっていいだろう。また、伝統工芸である提灯や太鼓づくりも行われている。これらの伝統文化は、地域住民の共有の財産であるとともに、北勢町のまちづくり・人づくりに欠かせない活力源である。